ガクシュウ(学ぶこと)

大人になっても学ぶことは多いですね。私自身、学ぶことが好きです。

前向きに自分を高めようとされる方は、年齢など関係なく「学習」されています。
私の母も80過ぎても、本をたくさん読み、新しいことに常に挑戦し、学習し続けている姿に、最近は感動さえしています。だから私も負けじと常にアンテナを立てて学びの場に出ることを惜しまずに行動します。

最近は楽しい学びの場も増えていますね。

自分の好きなこと、興味を持っていることをより深めて知ることが出来たり

技術を高めることができます。

でもこちらは「学習」というよりも『楽習』。
好きなこと、興味のあることだけ学べば満足。

世の中、何でも資格制度になって、いろいろな意味で「先生」が増えました。

『楽習』を教えてくれる先生はたくさんいます。
それはとても光栄でうれしいことです。

でも「学習」とは何でしょう?

私なりに「学習」と「楽習」の違いがあると思っています。

小・中学生が学んでいることは、「学習」ですね。
自分の興味のあることだけではなく幅広い視点から提案されています。

苦手な科目もあるでしょう。
好きになれない教科もあります。
学んでいることが生理的に嫌なこともあるでしょう。
でも、私たちは決して楽しいだけではなく、
それらに触れて、苦しくてもがきながら学んできました。
時にそのおかげで要らない劣等感を持ったり、
落ち込んだこともあったかもしれません。

でも、今にして思えば、その経験も大切だったように思います。
私たちが生きていくうえで「楽しい」だけでは
生きていけないことがたくさんありますから。

できなくて悔しい、わからなくて不安、
間違っていて恥ずかしい・・・・
いろいろな感情を経験します。

 

楽しいことが上手になっていくこともうれしいけれど、
実は苦手意識を克服した時に喜びが生まれることも多々あります。

それを克服するために努力したり、
歯を食いしばって頑張ったり、人一倍考えたり、
行動したり、経験を積みます。

こういう「我苦(がく)習」
つまり「我苦しんで習う」ということも
また必要なことではないでしょうか?
(勝手に、当て字を作って考えたりするクセがあります)

学んでいると、辛くなることはあります。
悔しくなることも経験します。
分からなくて不安になることもあります。
それは自分を高めるためのトラップ(罠)なのかもしれません。

そのトラップに引っかからず、
壁を乗り越えたときに大きな学習成果に気づけると思います。
それが本当の「楽習」になるのかもしれません。

時々、一生懸命に学んできた人が、「辛いからやめる」と
せっかくのスキルアップの機会を自ら断ってしまうことがあります。
とても残念なことです。

 

本当は、その「辛い」を見守り、
支えることが「先生」の役割でもあると思っています。
私にはまだそのスキルはないので、そこが私の学びどころ。

「楽習」「我苦習」どちらも大切な学習の姿勢。
両方を上手にバランスをとっていくことが必要だと思います。
だんだん、覚えが悪くなると「我苦習」も増えていますが、
乗り越えたときの達成感で「楽習」に切り替わったとき、
もっともっと頑張ろうと学習意欲が高まるんですね。
学ぶことはやめられませんね。

そして「楽習」提案と同時に、「我苦習」の壁にぶつかった方を
さらに素晴らしい「楽習」へのいざなうことができるように
私も学び続けます。