応える

「教える」こと。とても難しいことだと思っています。

 

自分は講師活動もしているので、「教える」ことをしているのかもしれませんが、

スタンスとしては「教える」ではなく、「伝える」にすぎない。

別に学校教育を指導しているわけでも、

学問を指導しているわけではないから。

 

自分の立場は冷静に客観視しています。

私は「教える人」ではない。

だから上手に伝えたいとは思っています。

相手に何かを覚えてほしいというよりも、

「知る」きっかけを作っているにすぎず、

そして、知った人は、そこから行動すればいい。

だから「教える」ではないです。

 

世の中教えたがり、答えたがりの人が多いですね。

だからどんどん考える機会がなくなります。

まぁ今は、インターネット情報だけではなく、

SNSや便利なアプリもあるから、

知らないことはすぐに尋ねればいいんですから、

考える時間は無駄だと思う人もいるでしょうね。

人によっては、尋ねられたら答えてあげないと失礼になるからと
知らないことまで調べてわざわざ教えてあげる人もいますから
プレッシャーと優越感でストレスがたまるでしょうね。
知ったかぶりなんて、浅い答えしか出てこないけど。
とくに何かのカルチャーの先生になりたての方。
先生になったから、何でも答えなくちゃいけない、
答えられないと恥ずかしい・・・・って。
わからなことがある先生のほうが、信頼できると思うけれど。
そのわからないことから、どんな行動をとられるかが、先生の力量でしょうか?
個人的な考えにすぎませんが。

 

わからないから知りたいへのリンクが早すぎますね。

人に聞くことに対して、悪気も遠慮もないから
何でも聞いちゃうんですね。アプリと変わらない。

「わからない」という思考の中で、

いろいろ考えてみることや、

今までの自分の経験や知っていることを頼りに、

そのわからないに寄り添いたいと思ったりします。

そうすると「こ~かな?」「あ~かな?」って

自分の知識や知恵の点と点がつながることもあります。

これってとても大事な思考の使い方だと思います。

だけど、考えないことが増えたから、思考を使うことも下手になりますね。

でも何でも聞いちゃう人って、別にそれが本当に知りたいわけでもなかったりするから
ただ安易なんだと思いますけど。

私は、子育てにおいても子どもたちにもすぐに答えはだしませんでした。

いろいろ聞いてきてその内容に即答するよりも、

その「謎」に思ったことを大事にしたいと思ったこともあるからです。

「ねぇ、○○ってなあに?」と聞かれたら「○○って何だろう?」

「○○って▽▽かもしれないね」

「○○って▽▽なの?そうなの?」と逆質問になることも

そうすると、「あぁ○○って××もあるのかな?」

「××もあるのかもね~」と
やりとりばかりでまったく答えがみつかりません。

でもその押し問答から、子どもの考えや、思いを感じることはたくさんあります。

「あぁ…この子の考え方は面白いな~」とか

「なるほど、いろいろ観点から考えてみたのね?」とか

「何でそう考えるのかな?(苦笑)」
なんてこともあります。

だけど、質問者の思いや思考のとらえ方が見つかるので、

本当に知りたいことは〇〇じゃなくて、

○○になぜ興味をもったのかということに気づきます。

だから

簡単に調べられることで求められることは、

「調べたら?」というし、漠然としていることであれば、

一緒にその思いに寄り添います。

まぁ大きくなった子どもたちには
「お母さんに質問すると面倒くさい」
といわれることもあるけれど、
答えのないことに関しては、「応え」を求めてきています。

そして一緒に考える。今でもそんな感じです。

生徒さんにもよく質問されますが、調べたりできることは即答しません。

ましてテキストや資料を持っていたり、調べる術を知っている方には、

まずそれで確認をしていただきます。

私が答えるべき問ではないと思うことは答えません。

 

いじわるでしょうか?

 

別に人気とりをするつもりもないし、
便利屋でもないし、ご機嫌をとるために
人にご提案しているわけではないので、

あくまでも指導者として自分なり心得というか義を大事にしたいと
思っているからです。

正しい答えを述べることよりも、

寄り添い応えを出すことに重点をおいているのです。

わからないことは、わかっている人にとっては簡単でつまらないこと。

だからあっさり軽く答えてしまうんでしょうね。

でも大事なのはわからないことに、

まず一緒にわからないことをわかってあげることが必要に思います。

そのうえでその人の本当の意味の「わかる」に近づいてあげることが

本当の指導のような気がしています。

答えを合わせることが教育ではないし、

知っていることを口にすることが教えではないから。

私は講師としてというよりは、

人として「応える」ことを大切にしていきたいと思います。

反応していくということでしょうか。

速攻で答えを求める人は、焦りが強く不安がち。

ゆっくり深めていくことで、

求めていた以上の答えに出会う楽しみを持ってほしいと思います。

正しい答えは、とても許容を狭め規制がかかり、

それだけになってしまう。
もっと本当に素敵な答えはあるのかもしれない・・・・

小学生の時からそんなことを考えていました。

なぜ1+1=2なのか。

算数はそうでも、国語や理科、社会科的にはその答えはありえないな・・・とか。

そんなズレ感が、私にいろいろな考えを教えてくれました。

それが今の私になっているから、ズレも悪くないと思ってます。

逆に正しさに縛られて苦痛を感じている人たちが多いから。

正しいなんて難しい。

だからいろいろ考えてみればいいだけのことです。

答えられなければ、応えていけばいいんですから。