保護者の自覚

4月に入り、入学、進級などお子さんのいる方は忙しくしていらっしゃることと思います。

そして、子どもたちが新しい生活が始まる頃、

保護者会などで、親も新しい生活のための集まりがありますね。

いわゆるPTAのお話です。

PTA問題は、私の子どもが小さい時から様々な問題はありましたが、

ネガティブなことばかり取り上げられているから、

任意だから入らなくてもいいとか、

できる人がやっていればいいとか、なんだか好意的な存在ではないですね。

 

私は、子どもが世話になっている学校だから、

親もできることをするというのは大切なことだと思っています。

できないことは誰かと協力していくことで解決できると思います。

できないことを考えるより、できることを考えていった方が、親だって成長します。

子どもだってそうやって学び成長しているんですから。

 

チャイルドケアのスクーリングをこの時期に行っていた頃は、

「積極的にPTAになったほうがいいです」と呼び掛けてました。

子どものことを知ること、子どもを取り巻く環境のひとつとして、

学校や保護者、お友達の関係を知ることは、チャイルドケアでとても役立つからです。

最近は、この時期のスクーリングもないので

受講者の皆さんにそんな声掛けをすることもなくなりましたが、

先日ある受講生の方が、10年前のスクーリングに参加されていて、

その時はまだお子さんが赤ちゃんだったそうです。

でも私のスクーリングでの「PTAになるといいよ」という言葉を覚えていて、

今お子さんが成長されてPTAの活動をしているとメッセージをいただきました。

私、PTAに貢献してます(笑)

でもその方もPTAをやったことで良かったと感想もありました。

私が勧めてPTAになった人は、皆さん良い経験をされたと話してくれます。

自信がもてたとも。

そうなんですね。

ネガティブなことばかりじゃないと思います。

親として、社会と家庭をつなぐ大人としていろいろ学ぶことはあります。

もちろん楽しいことばかりではないです。

でも、楽しいことを行うことではないです。

子どもたちが健やかに元気に学校生活を楽しむためのお手伝いです。

面倒なことが多いのです。でもそれらは大切なこと。

大切なことはそんなに簡単にはいかない。

親も学ぶチャンスです。

そして、今の学校やそれぞれの家庭のことを知るきっかけになります。

いろいろな考えがあります。どれも正しいし、時には誤ることもあるでしょう。

でもそれらを狭い思考ではなく、広い視野で考え、

皆が笑顔でいられるためにどうあるべきかと考えることができるのは、

なかなか深いものです。
保護者の自覚が生まれます。自分の子に限らず、子どもを社会で守ろうと思えるようになる。
当たり前のことだけど、自覚があるのとないのでは少し違うんです。
自覚がないと自分の子だけしか見えないモンスターペアレントになりがちです。

ぜひ、戸惑っている人は怖がらずにやってみると良いですよ。

子どものためだけではなく、

実は自分のためにやってよかったとなることが多いですから。

大変だけど、きっとお子さんも

母が父が頑張っている背中を誇らしく思ってくれるはずですから。

皆さん、子どもに負けないようにがんばりましょう。

私だってできたんですから(笑)できるできる!

0 コメント

チャイルドケアの始まり

チャイルドケアは、JAAの通信講座をスタートさせる2年前に、

個人スクールで手作りの通信講座を開講していました。

もともと

治療室の待合室でワンコインで学べる

「自然療法を子育てや生活に取り入れよう」という
 講座を小さな規模で始めていました。

知識というよりは、私自身の自然療法を取り入れた子育てと生活の
リアル体験が基本です。
よかったことやおすすめしたいことををお話し、

実際にアロマやハーブを実際に試してもらったり、
さらには、互いの子育てをシェアしたりとお茶会のような内容でした。

 

それが口コミで広がり、

雑誌にちょっとだけ取り上げてもらったことがありました。

その記事を見たご遠方の方から

「私も近かったら、行きたかった」と直接ご連絡をいただき、
そのお気持ちがうれしくて、つい

「それなら、送るわ」という勢いで返事してしまったことが
なんと、通信講座の始まり。

 

たった一人の人の希望を叶えるための始まりです。
内容はテキストといくつかの課題。
材料も入れてすぐに体験できるものに。

季節ごとに教材とテキストを送るという1年通してのシリーズ。

季節の情報やちょっとした暮らしの知恵。

そしてお手紙とおまけ。

おまけはキャンディーだったり、クッキーだったり、お茶だったり。

「これはママのご褒美のキャンディだから
お子さんがいないときに、こっそり食べてね。」って。
とにかく頑張っているママさんにエールを送りたかったから。
知識を伝えるなんて、大それたことをするものではないです。
だから

通信講座なんて体裁の良いものではありませんが、

心はたくさん詰まっています。
自分がこんな講座受けられたら楽しいだろうなって。
そんな思いで企画しました。
格好つけた難しい言葉を並べたって、私自身が飽きてしまう。
ママが元気で楽しめたら、子育ても生活もうまくいく。
だからあくまでもママを応援する内容に徹したのが

「チャイルドケア」の始まりです。
この思いは変わらないです。

知識を伝えることではなく、

その人のために何か役に立つことをしたい。
その人の笑顔を作ることがしたい。
それは、共感であったり、エールだったり、前に進む意欲だったり。

スクーリングや会報誌でもeラーニングでも

「知識じゃない、心を伝える」とよく伝えていますが

ここが原点だからです。

たかが知れている知識より、深い深い心の方が
ずっと人を助けることはできるのではないかと。
人は、心で人を幸せにしてあげることができるのです。
今もその思いは変わりません。
もちろん知識がないよりはあったほうが、良いことはわかります。
だから今も学び続けているわけですが
(チャイルドケアを始めてから大学にも通いました)

たった一人の人のためにできることがある。

それが私にとっての喜びでした。
それが口コミで広がったり、再び雑誌に取り上げられたりと

約2年の間で述べ60名くらいの方が受講くださいました。
受講された方の反応は思った以上でした。

その自信がJAA(日本アロマコーディネーター協会)の
通信講座につながりました。

答えのない講座という前代未聞な内容に、
大きな組織で、展開することに戸惑いもありました。
そして、海のモノとも山のモノともつかない
この講座を一緒に立ち上げてくださった深い懐に
感謝するばかりです。

とはいえ、こんな講座は
きっと長くは続かないだろうと、正直思っていました。
世の中そんなに甘くないし、答えのない講座なんてね。
何勉強するんだか・・・・ですよね。
でも、びっくり。

17年間続いています。

気の利いたビジネス展開ができるわけでもないし、

箔が付くわけでもありません。

だけど、学習している方は、

誰かのためにできることに幸せを感じているからじゃないかと。

そう思います。

私が感じたあの喜びと同じなんだと思います。
だから
やっぱりその思いを大切にしたいと思います。
気の利いたことはできないし、お金儲けもできないけど・・・。

実は、JAAチャイルドケア通信講座を開講してからも

裏チャイルドケア講座なるものを展開していました。

そのお話は今度。

0 コメント

大人の自主性?

自主性??

「自主性を育てる」「自主性を尊重する」などという言葉は

子育ての中で良く出てきます。

だけど、育てる親がこの言葉を理解しているのでしょうか?

国語的には理解していると思います。

そうじゃなくて、ちゃんと認識して行動がとれているかということ。
最近はPTAの問題もいろいろありますが、
大人の自主性が欠けてきているように思います。

 

「自主性」とは

あることに対して率先して行うことをいいます。

つまり誰かが特に指示しなくても、事細かく説明しなくても、
マニュアルがなくても・・・・
やるべきことがわかっていて、行動を起こすことができること。
もちろんイヤイヤではなく、気持ちよく・・・・ですね。

だけど、大人が果たしてこのことが出来ているかどうか。
 出来ていなければ子どもの自主性なんて育てられません。

例えば

面倒臭がり屋

やってみないうちから「面倒くさい」とひとことでまとめてしまう。
これではいくら行動を起こしたとしても、億劫で、
嫌な気持ちは脱ぎいきれないし、顔に出てます。

 

そして、指示待ち

指示しないと動かない。動けない。
あるいは、指示されなければやらないでいいと思ってしまう。
下手するとラッキーぐらいに考えている人・・・・・います。

 

そして、その場しのぎ

とりあえずやっておくという感じ。
そこに良くしようとか、次につなげるということはあまり頭になくて、
何となく体裁と雰囲気で良しとする感じで
トラブルさえなければよいと考えている人・・・・・います。
でもこういう人に限って、
何かトラブルや自分に都合の悪いことが起こると
ものすごく慌てたり、怒ったり、クレームを言ってきたりするんです。

 

そして、自分の意志がない

皆がいいならと考えもしないで多数決の多で物事を決める人・・・・。
長いものにまかれる、お友達と一緒。
○○さんと同じ・・・・。
自分の考えはなくていつも人の目や人の言葉に影響されてしまうんですね。
自分の意志がないから、振り回されっぱなし。
自然にストレスは増えるばかりです。

そして、人任せ、責任転嫁
 自分ではやらない。人任せで知らん顔。
全然、自分ではやらないのに
何かあると人のせいにしたり、悪いことは皆誰かのせいにする人・・・います。

これって、大人が自主性を持っていないということですね。

何をすればよいのか、もっと考えて動かないと。
子どもは守れません。当然自分たちは幸せになれません。
幸せさえ、自主的につかめないから迷い悩み落ち込んでしまうのです。
いつも不幸だと自分を嘆くかもしれませんね。

大人の皆さん、もっと自主性を高めましょう。

私のスクールは、少し変わったやり方をしています。
答えを出すというよりは、ある程度のことは伝えて、
そこから先は自分で考えて答えを出してもらうということです。
自然療法は、一つの答えなどはありません。
だからそれぞれが自主的に答えも出せるものなんです。
もちろんそれでも答えがでないときは、一緒に考えて答えを出しますが、
自主的に行動できなければ、いつまでも答えが出ないのです。

同じことを提案していても、自主性によって学習成果に格差はでます。
遠慮もあるのかもしれません。でも学ぶには貪欲さも必要。
もったいないなって思います。

大人の学びだと思うから、強制もしないし、
追い立てることもしません。
何度か声掛けはしますけど、それでも動かない人はそのままです。

 

本来は言わなくてもやるが、自主性。

言ったら動く人はまだいい。言っても動かない。それはもう難しい

 

民間の資格もそうですね。

資格だけとってもね。
資格を取ってからの自主性でその資格は活かされるものだけど、
とっただけで、天下とっているわけじゃないんだしね。

資格をとっただけなのに、わからないという。

何もできないという。

不安という。

そりゃそうです。そこから何もやっていなければできないし、

経験していないから不安です。

 

大人の自主性をもっと鍛えないと・・・・・と

今日も大人の有害論を訴えてみました。
一緒に考えていきましょう。
自分磨き、大人磨きしていきましょう。

0 コメント

モラル、マナー、しつけのこと

最近、電車の中でソフトクリームを食べている親子や、

チョコがたっぷりトッピングされたチョコドーナツを頬張る子どもを見て、

いつからこんなに電車内は食堂化してしまったのだろうと・・・・。

皆さんはどう思いますか?この2つのケース。

 

ひとつは、

 

ソフトクリームを食べていたのは5歳くらい。母親は30代でしょうか。

親子で、最新のファッションでバッチリ決めています。

 

その親子がソフトクリームをもって、当然のように電車に乗り込こんできたのです。

あまりにも堂々としていた素振り、その光景に2度見、3度見してしまいました。

 

昼間だったことで、そんなに車内は混んではいなかったとはいえ、

座れるところはありません。

立って食べているのですが、5歳くらいの子は、

電車が揺れたら、足がおぼつかず、ふらふら。

でもソフトも気になるから、もたもた・・・・。

案の定、ぽたりと落としました。

 

母親は、「何やってんだよぉ!ちゃんと見てろよ!んたく!!!」と

ヒステリックな怒鳴り声をあげ、

子どもの頭に音が響くほどのげんこつをして、

腕を鷲づかみして、次の駅で降りてしまいました。

 

(えっ??これ拾わないの???)

 

さすがに私も、人が落とした溶けたアイスクリームを処理するほどの善意もなく、

それでも誰かが足を滑らせたら・・・と思いあたふた。

一緒にその光景を見ていたおばさんが、ティッシュを出して、

その上にのせていました。

同じく見ていた男子学生が「ひでえな、あの親子」つぶやいてました。

私は降りた駅で、駅員さんに一応報告しました。そんなことくらいしかできません。

 

ふたつめのケース。

 

車内は夕刻。通勤、通学の帰りの時間になっていました。

当然、座れるところなどありません。

そんな時間に2歳くらいの子どもを連れた親子が電車に乗ってきました。

2歳の子どもはその状況を察し、

「ちゅわりたい(座りたい)」と言い出します。

「すぐに降りるから立っていようね」と母親がなだめても

「ちゅわるぅーちゅわりたい(座るぅ~座りたい!)」と泣き出しました。

 

座っている人がその様子を見て、「どうぞ」と席を譲るも、

今度は、「ママもちゅわる。ママもちゅわって!!!」と。

 

「じゃぁママのお膝に座る?」と声かけても

「ダメ。ママもここにちゅわるの」と。

隣にいた人は、ばつが悪そうに「どうぞ」と席を譲ってくれました。

 

母親はそんな状況なのにお礼もいわず当たり前のように座ります。 

見ている私がイライラが増してきます。

 

私だったら、やはり子どもをなだめ、注意します。

まして席を譲ってくださったのであればお礼を言いますし、子どもにもそうさせます。

いくら小さな子どもでも、席を譲ってもらったのであれば

礼を言うのは最低限のマナーですよね?

 

さらにイライラが倍増されることがありました。

その子はシートの座ると同時に

「ドーナチュ食べたい、食べたいおぉ~」とわめきだし、

母親が「おうちに帰ってから食べようと」となだめていたけど、

キーっとなってさらに大きな声で「食べちゃい、食べちゃい、食べゆぅ!!!」と

泣き叫び、母親の持っていた袋をかきだしました。

 

ヒステリックな泣き声に、

通勤帰りの疲れた人たちの疲労感は増すばかりです。

母親は、「しょうがないわね」と笑いながら、

そのままチョコドーナツを丸ごと子どもに手渡したのです。

子どもの手にはあまり大きさです。

 

チョコドーナツは、どんどん溶けて小さな手はチョコレートまみれ。

みるみるうちに、顔も手もチョコレートまみれ。

母親は、泣き病んだことでほっとしたのか、スマホを見始めているから

子どもの食べている様子を気にかけることはありません。

チョコの付いた子どもの手は、自然に電車のシートで拭うことに。

 

(マジか・・・・・!!!)

 

思わず、

「お母さん、チョコがシートにつきましたよ」と言ってしまいました。

 

そうすると、「あっ、大丈夫です」と。

別に何もしないんです。

何をもって大丈夫なのかわかりません。 全然大丈夫じゃないし。

次に座る人、アウトでしょう・・・・・。

 

怒りを超えてあきれ返ってしまったけれど、結局何もできず。

どうすればよかったのだろうと・・・。

 

モラル、公共の場、皆が気持ちよく過ごせるためのしつけをするのは、

子どもを持つ親の大切な役割です。

子どもがいることで、肩身の狭い思いをすることはないと思います。

だけど、公共の場に子どもを連れていくのであれば、

最低限のモラルやマナーくらいはしつけないと。

ソフトクリームもチョコレートドーナツを何も通勤電車で食べることじゃないじゃない。
行楽電車なら、それもいいんだけどね。

 

そういえば、以前サラリーマンがお湯の入ったカップ麺を車内で食べていたっけ。

これも衝撃的だったけど。

せめて車内で食べてはいけないとは言わない。

でも何を食べるのかぐらいは考えてほしい。

化粧をするOLや爪を切る学生、眉毛をぬく女子学生、ひげをそるサラリーマン

スマホで大きな声でしゃべる高齢者。
子どもが車内で走っても、おしゃべりに夢中なママ集団。

大人のマナーやモラルが崩れているから、育てられている子どもは

悪気もなくそれを継続するか、
それ以上のことをやらかしても違和感持たずに成長するのでしょう。

なんだか不快指数が高くなる日本です。

どうしましょう?

2 コメント

太陽のようなおかあさん?

 「太陽のようなお母さん」

 

皆さん、どんなイメージですか?

 

いつもニコニコしていて、暖かくて、優しく見守ってくれる?

そんなイメージでしょうか?

確かに、絵本の中の理想の優しいおかあさんは
穏やかな春のおひさまみたいですね。
小さな子どもたちには、おかあさんはそんな感じであれば理想です。
でも、今の時代 
おひさまの「暖」を求めるより
スイッチひとつでエアコンの「暖」をとるし、
日焼けしたくないと、日焼け防止対策。
全然、お日様は崇められてないから、
「おかあさんは太陽」という言葉に違和感をもちます。

 

どうもこの太陽のようなイメージが変わり始めているような気がします。

いつもガンガン、ギラギラと子どもを照らし続け、

子どものすべてを明らかにしようと、いつも照らし続ける。

 

いつもギラギラ照らされているから、

子どもは、疲れ果てます。のどもカラカラ。
煽られて、焦って、いつも急かされて・・・・。

近すぎて、暖かいどころか熱すぎてやけど手前でも気づかない。


最近の「太陽のようなおかあさん」
私のイメージは、こんな感じです。
そういう、おかあさんが増えているから

太陽のネガティブなイメージと重なるので
良いイメージではないです。

 

実際、太陽の日差しもオゾン層の破壊により

人間にとって有害なものになっていますから

昔の穏やかな太陽の日差しとは違うんです。

温暖化で、太陽のイメージも変わってきますね。

そうなったのも人間のせいですけどね。

 

太陽のようなお母さんに憧れていると言いますけど、

だったら、太陽だって沈むからね。

時には、沈んでそっと見守ることや、

太陽が知らないことがあっていいと思います。

その代わり、他の人(月)が見ていてくれるんだもの。

24時間ギラギラ照らしすぎる必要はないし、

時には雲に覆われていいんです。

だけど、現代の太陽のようなおかあさん・・・・
ニコニコ照らすよりも、メラメラと怒り、命令し、存在を見せつけて。
沈む時間に、寝ることもしないで夜更かしして
寝不足で、体調崩して、そしてまたイライラしてギラギラとして。
そんなおかあさんいるんです。

太陽は、何となく生活の中心にあり、
家族の中心というイメージがあるのでしょう。

だけど、支配しているものではなく、

生活や家族のリズムを作っている存在。

そんなふうに太陽のイメージを変えてもらえれば

素敵な太陽のようなお母さんになるのかもしれません。

最近続けて「太陽のようなお母さんになりたい」

「先生は、太陽みたいですね」などと耳にして

私がもつ太陽のイメージとは異なったので
私の勝手な言い分を書いてみました。

私のイメージでは、私は太陽ではないから、

きっとほめてくださっている言葉でも、

深読みして否定的に思ってしまうのです(苦笑)

へそ曲がりの性分なんで、素直に受け取れません・・・・。

私は「太陽」は目指していません。どちらかというと「月」派です。

これは昔から言っています。

メジャーなものよりマイナー。

オーバーグラウンドよりアンダーグラウンド

マジョリティーよりマイノリティーに興味をもつ気質が

そうさせているのでしょうか?

物心つく頃から「月」派です。

 

きっと、過去世はかぐや姫だったのでしょう。

(あっ・・・ここ突っ込むところです(笑))

 

再びこのことは、またどこかで綴ります。

2 コメント