太陽のようなおかあさん?

 「太陽のようなお母さん」

 

皆さん、どんなイメージですか?

 

いつもニコニコしていて、暖かくて、優しく見守ってくれる?

そんなイメージでしょうか?

確かに、絵本の中の理想の優しいおかあさんは
穏やかな春のおひさまみたいですね。
小さな子どもたちには、おかあさんはそんな感じであれば理想です。
でも、今の時代 
おひさまの「暖」を求めるより
スイッチひとつでエアコンの「暖」をとるし、
日焼けしたくないと、日焼け防止対策。
全然、お日様は崇められてないから、
「おかあさんは太陽」という言葉に違和感をもちます。

 

どうもこの太陽のようなイメージが変わり始めているような気がします。

いつもガンガン、ギラギラと子どもを照らし続け、

子どものすべてを明らかにしようと、いつも照らし続ける。

 

いつもギラギラ照らされているから、

子どもは、疲れ果てます。のどもカラカラ。
煽られて、焦って、いつも急かされて・・・・。

近すぎて、暖かいどころか熱すぎてやけど手前でも気づかない。


最近の「太陽のようなおかあさん」
私のイメージは、こんな感じです。
そういう、おかあさんが増えているから

太陽のネガティブなイメージと重なるので
良いイメージではないです。

 

実際、太陽の日差しもオゾン層の破壊により

人間にとって有害なものになっていますから

昔の穏やかな太陽の日差しとは違うんです。

温暖化で、太陽のイメージも変わってきますね。

そうなったのも人間のせいですけどね。

 

太陽のようなお母さんに憧れていると言いますけど、

だったら、太陽だって沈むからね。

時には、沈んでそっと見守ることや、

太陽が知らないことがあっていいと思います。

その代わり、他の人(月)が見ていてくれるんだもの。

24時間ギラギラ照らしすぎる必要はないし、

時には雲に覆われていいんです。

だけど、現代の太陽のようなおかあさん・・・・
ニコニコ照らすよりも、メラメラと怒り、命令し、存在を見せつけて。
沈む時間に、寝ることもしないで夜更かしして
寝不足で、体調崩して、そしてまたイライラしてギラギラとして。
そんなおかあさんいるんです。

太陽は、何となく生活の中心にあり、
家族の中心というイメージがあるのでしょう。

だけど、支配しているものではなく、

生活や家族のリズムを作っている存在。

そんなふうに太陽のイメージを変えてもらえれば

素敵な太陽のようなお母さんになるのかもしれません。

最近続けて「太陽のようなお母さんになりたい」

「先生は、太陽みたいですね」などと耳にして

私がもつ太陽のイメージとは異なったので
私の勝手な言い分を書いてみました。

私のイメージでは、私は太陽ではないから、

きっとほめてくださっている言葉でも、

深読みして否定的に思ってしまうのです(苦笑)

へそ曲がりの性分なんで、素直に受け取れません・・・・。

私は「太陽」は目指していません。どちらかというと「月」派です。

これは昔から言っています。

メジャーなものよりマイナー。

オーバーグラウンドよりアンダーグラウンド

マジョリティーよりマイノリティーに興味をもつ気質が

そうさせているのでしょうか?

物心つく頃から「月」派です。

 

きっと、過去世はかぐや姫だったのでしょう。

(あっ・・・ここ突っ込むところです(笑))

 

再びこのことは、またどこかで綴ります。

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応える

「教える」こと。とても難しいことだと思っています。

 

自分は講師活動もしているので、「教える」ことをしているのかもしれませんが、

スタンスとしては「教える」ではなく、「伝える」にすぎない。

別に学校教育を指導しているわけでも、

学問を指導しているわけではないから。

 

自分の立場は冷静に客観視しています。

私は「教える人」ではない。

だから上手に伝えたいとは思っています。

相手に何かを覚えてほしいというよりも、

「知る」きっかけを作っているにすぎず、

そして、知った人は、そこから行動すればいい。

だから「教える」ではないです。

 

世の中教えたがり、答えたがりの人が多いですね。

だからどんどん考える機会がなくなります。

まぁ今は、インターネット情報だけではなく、

SNSや便利なアプリもあるから、

知らないことはすぐに尋ねればいいんですから、

考える時間は無駄だと思う人もいるでしょうね。

人によっては、尋ねられたら答えてあげないと失礼になるからと
知らないことまで調べてわざわざ教えてあげる人もいますから
プレッシャーと優越感でストレスがたまるでしょうね。
知ったかぶりなんて、浅い答えしか出てこないけど。
とくに何かのカルチャーの先生になりたての方。
先生になったから、何でも答えなくちゃいけない、
答えられないと恥ずかしい・・・・って。
わからなことがある先生のほうが、信頼できると思うけれど。
そのわからないことから、どんな行動をとられるかが、先生の力量でしょうか?
個人的な考えにすぎませんが。

 

わからないから知りたいへのリンクが早すぎますね。

人に聞くことに対して、悪気も遠慮もないから
何でも聞いちゃうんですね。アプリと変わらない。

「わからない」という思考の中で、

いろいろ考えてみることや、

今までの自分の経験や知っていることを頼りに、

そのわからないに寄り添いたいと思ったりします。

そうすると「こ~かな?」「あ~かな?」って

自分の知識や知恵の点と点がつながることもあります。

これってとても大事な思考の使い方だと思います。

だけど、考えないことが増えたから、思考を使うことも下手になりますね。

でも何でも聞いちゃう人って、別にそれが本当に知りたいわけでもなかったりするから
ただ安易なんだと思いますけど。

私は、子育てにおいても子どもたちにもすぐに答えはだしませんでした。

いろいろ聞いてきてその内容に即答するよりも、

その「謎」に思ったことを大事にしたいと思ったこともあるからです。

「ねぇ、○○ってなあに?」と聞かれたら「○○って何だろう?」

「○○って▽▽かもしれないね」

「○○って▽▽なの?そうなの?」と逆質問になることも

そうすると、「あぁ○○って××もあるのかな?」

「××もあるのかもね~」と
やりとりばかりでまったく答えがみつかりません。

でもその押し問答から、子どもの考えや、思いを感じることはたくさんあります。

「あぁ…この子の考え方は面白いな~」とか

「なるほど、いろいろ観点から考えてみたのね?」とか

「何でそう考えるのかな?(苦笑)」
なんてこともあります。

だけど、質問者の思いや思考のとらえ方が見つかるので、

本当に知りたいことは〇〇じゃなくて、

○○になぜ興味をもったのかということに気づきます。

だから

簡単に調べられることで求められることは、

「調べたら?」というし、漠然としていることであれば、

一緒にその思いに寄り添います。

まぁ大きくなった子どもたちには
「お母さんに質問すると面倒くさい」
といわれることもあるけれど、
答えのないことに関しては、「応え」を求めてきています。

そして一緒に考える。今でもそんな感じです。

生徒さんにもよく質問されますが、調べたりできることは即答しません。

ましてテキストや資料を持っていたり、調べる術を知っている方には、

まずそれで確認をしていただきます。

私が答えるべき問ではないと思うことは答えません。

 

いじわるでしょうか?

 

別に人気とりをするつもりもないし、
便利屋でもないし、ご機嫌をとるために
人にご提案しているわけではないので、

あくまでも指導者として自分なり心得というか義を大事にしたいと
思っているからです。

正しい答えを述べることよりも、

寄り添い応えを出すことに重点をおいているのです。

わからないことは、わかっている人にとっては簡単でつまらないこと。

だからあっさり軽く答えてしまうんでしょうね。

でも大事なのはわからないことに、

まず一緒にわからないことをわかってあげることが必要に思います。

そのうえでその人の本当の意味の「わかる」に近づいてあげることが

本当の指導のような気がしています。

答えを合わせることが教育ではないし、

知っていることを口にすることが教えではないから。

私は講師としてというよりは、

人として「応える」ことを大切にしていきたいと思います。

反応していくということでしょうか。

速攻で答えを求める人は、焦りが強く不安がち。

ゆっくり深めていくことで、

求めていた以上の答えに出会う楽しみを持ってほしいと思います。

正しい答えは、とても許容を狭め規制がかかり、

それだけになってしまう。
もっと本当に素敵な答えはあるのかもしれない・・・・

小学生の時からそんなことを考えていました。

なぜ1+1=2なのか。

算数はそうでも、国語や理科、社会科的にはその答えはありえないな・・・とか。

そんなズレ感が、私にいろいろな考えを教えてくれました。

それが今の私になっているから、ズレも悪くないと思ってます。

逆に正しさに縛られて苦痛を感じている人たちが多いから。

正しいなんて難しい。

だからいろいろ考えてみればいいだけのことです。

答えられなければ、応えていけばいいんですから。

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あけまして おめでとうございます

あけましておめでとうございます

今年もどうぞよろしくお願いします

東京はお天気に恵まれた三元日でした。

都内を走る車も減って、
東京は一年で一番空気がきれいな時なんだと思います。

朝の青空も、夜の星空も、1年の中でいちばん美しい。

そんなことをいつもお正月は感じます。

お正月のツーンとした冷たい風が懐かしくもあり、

東京の中の残された自然をちょっと感じます。

それも、ほんのひととき。

仕事始めになれば、あっという間に空は曇り、空気はよどみます。

世の中は便利になって、目まぐるしく動き出し、

その中で溺れないよう、

置いていかれないように必死になって動いているから、

空の変化にも気づかないし、

空気(氣)の巡りにも鈍感になっていくのかもしれませんね。

今年の活動は、
皆が気づいているようで気づかないこと。

皆が気づいているのに、声に出していないこと・・・・。

そんなことをもっと丁寧に考えてみようかと思っています。

目新しいことでも、斬新なことでも、画期的なことでもないけれど、

人の微妙な思考と感情の隙間にあることを明確にしていくことで

モヤモヤしていたものが、スッキリ解消したり、

ソワソワしていたものが、ドーンと安定したり、

メソメソしていたことが、ニッコリと手放せたり、

イライラしていたことが、スコーンと落ち着いたり・・・・・

その隙間が埋まると

「あぁ・・・・そうそう」ってしっくりしたりするもんです。

案外、人は複雑そうに見えて、とてもシンプルなんだと思います。

昭和の名作アニメ?「笑ゥせぇるすまん」覚えていますか?

喪黒福造の名セリフ。

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私の名は喪黒福造。

ひとよんで、「笑ゥせぇるすまん」

ただのセールスマンじゃ御座いません。

私の取り扱う品物はココロ。

人間の心で御座います。

オーッホッホッホッホ!!!!

この世は老いも若きも男も女も

心の淋しい人ばかり。

そんな皆様のココロのスキマを、お埋めします。

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そんな感じ?ちょっと違う?ふふふ。

今年の私の活動にもご注目くださいませ。

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