あけましておめでとうございます

 

今年もどうぞよろしくお願いします。


昨年、私の提案している「チャイルドケア」の教育と活動を充実させていくために

「チャイルドケア研究所」を立ち上げました。

チャイルドケア研究所への登録は、どなたでもできますが、

意思確認はさせていただいています。

受動的な状況では登録できません。

自ら動く、「能動的」な意思を持っていることが必要だからです。

「学ぶこと」「考えてみること」

「行動を起こしてみること」

「深めてみること」

「つなげていくこと(伝えていくこと)」

これらを積極的に行っていくのが研究所の目的です。

そして、チャイルドケアの学習でもお話ししていますが

『みる』『きく』を一緒に体験していていきたいと思っています。

チャイルドケアでは

「自ら考えて行動する」ことの大切さをお伝えしています。

情報が多いことや周りの目を気にすることが多い中、考える前に情報が投げかけられ、

周りの状況に合わせて動くだけになり、自ら考えることが失われているからです。

もちろん考えていないわけではありませんが、

自らの想いと行動が同じ方向性であればよいのです。

でも私が子育てや生活の相談をされるときに

生徒さんやクライアントさんからは

「~しなければ」

「~するべき」
という言葉をよく耳にします。

自ら自制し、正し、無理な軌道修正で辻褄合わせにがんばっている人が多いんです。
本当は、自分のために周りのために考えて行動していることは
気持ちよいはずです。そうなるために考えて行動しているのですから。

でも想いとは違う行動にストレスを抱えているように見えます。

 

もっと広い視野を持って、情報に合わせるのではなく、

自らの経験や、想いを大切にして行動することです。

子どもにはそう願っている方も多いはず。

なのに親自身がそれができなくなっています。

これでは、子どもはどう自主性を持てばよいのでしょうか?

同じように情報に左右され、長いものに巻かれ、

指示待ちでしか動けなくなっていくのです。

あるいは情報に左右されて、気ままにやりたいことだけわがままに言うことになります。

何にでも興味を示すことは、良いこととは限りません。

考えないで流行りすたりに左右されているだけにすぎないからです。

 

「自ら考えて行動する」

これは、自分のことがわかっていないとできません。

また、周りのことがわかっていないとできません。

そして

自分の生命力に向き合っていないとできません。

つまり、「調和」がとれていないとできないことです。

チャイルドケア研究所では

まさにこの「調和」

《調えて、和を築く》

ここをテーマにして今年は活動していこうと思います。

たくさん一緒に考えていきましょう。そして行動していきましょう。

 

ぜひ今年の決意表明してください。
言葉はエネルギーとなり、

背中を押して、行動につながっていきます。

皆様にとって良い年になりますように。

 

知覚動考

チャイルドケアのスローガンのひとつ。

 

「知覚動考」

 

知ること、覚えることと同じくらいに経験をして、

そして考えを深めましょうということ。

経験もしないで考えていると、

失敗やネガティブなことを想像して、

経験を避けてしまう人もいるし、

経験もしていないのに分かったような気持ちに

なるものです。

それが怖い。

情報をもっていることが「知識」だと勘違いしている人もいるけど、

情報は経験してこそ、知識になるものだと思うし、それを何度もこなすことで、

智恵として身につきます。

ネットで検索して、疑似体験ばかり増えている今の時代、身体と心と時間を使った「経験」は

本当に宝だと思います。

チャイルドケアはとにかく「経験しよう」と伝えています。

特にチャイルドケアは、通信講座で学ぶスタイルもあるので文字だけで理解をされると、

個人主観になり、誤解されることもあります。

すり合わせがなかなかできません。

 

もちろん課題もあるしテストもあるんです。

でも、何か大事なところが伝えられないもどかしさがあります。

実際に、通信講座の方でもスクーリングで私に会って直接伝えると、

「思っていたことよりも深いと思いました」とか

「私はわかっていませんでした」などと述べられるんですが、

その後のやる気スイッチは見事です。

そういう方はその後の学習も、行動も変わります。

まさに「知覚動考」で得たものではないかと思います。

 

チャイルドケアは、とってもアナログな内容です

。だからやっぱり人肌の教えが必要です。

そこに気づきが芽生え、考える力が育つんですね。

子育てと同じ。知能的に教えるのではなく、

心で心に伝えていけば自然に知能の使い方を考えます。それってとても大事なことですね。

 

思っていたよりも行動することで、できてしまうことにも気づきます。

案外簡単にとどまっていた一線は超えられます。

超えると自信がつくんです。根拠もないこともあります。

でも実感として残っているという体感は、ずっと自信を支えてくれるのです。

チャイルドケアは、育母の講座でもあるんですが、

母って「子育て」に縛りがあると勝手に思っていますね。

時間がない、忙しい、やることがたくさんある・・・・確かにね。忙しいです。

だけど、行動しようって切り替えると

、意外に失われていた時間があちこちに転がっていて、

もったいないこともたくさんあります。

 

周りが意外に快くサポートしてくれることもあります。

自分だけで頑張りすぎてしまっていたんですね。

だけどそんな周りからの支えに気づき、自分の時間を取り戻し、

行動してみると、一気に自信を取り戻し、スキルもあがり、

やる気になって日々の力が変わってきます。

そのときにサポートしてくれた人たちにお返しできればいいんです。
支え合うとは、その場しのぎではなく
必要な時に必要な力で補い合うことです。

 

怖がらずにやってみる、行ってみるって私は大事なことだと思います。

失敗なんか恐れる必要はないんです。
失敗よりも先にやったかやっていないかが大事。
やっていないことは、失敗よりも人生の汚点になると思います。
経験したからこその失敗は、いつか自慢話になったりするもんです。
いまだに失敗します。でも経験も積んでいるということ。
常に進行形で「知覚動考」実践してます。

「百聞は一見にしかず」という言葉がありますね。

実は続きがあるのをご存知でしょうか

百見は一考にしかず

百考は一行にしかず

百行は一果にしかず

まさに知覚動考と同じことのような気がします。

今日からまた新しいテーマで
八洲学園大学の公開講座eラーニングが始まります。
パソコンが苦手、操作が不安などと言っていたんでは
もったいないことがたくさんあります。

ぜひ、動いてみてください。
きっとまた新たな視野で、新たな自信がつきますから。

思い立ったら、スタートです!

ガクシュウ(学ぶこと)

大人になっても学ぶことは多いですね。私自身、学ぶことが好きです。

前向きに自分を高めようとされる方は、年齢など関係なく「学習」されています。
私の母も80過ぎても、本をたくさん読み、新しいことに常に挑戦し、学習し続けている姿に、最近は感動さえしています。だから私も負けじと常にアンテナを立てて学びの場に出ることを惜しまずに行動します。

最近は楽しい学びの場も増えていますね。

自分の好きなこと、興味を持っていることをより深めて知ることが出来たり

技術を高めることができます。

でもこちらは「学習」というよりも『楽習』。
好きなこと、興味のあることだけ学べば満足。

世の中、何でも資格制度になって、いろいろな意味で「先生」が増えました。

『楽習』を教えてくれる先生はたくさんいます。
それはとても光栄でうれしいことです。

でも「学習」とは何でしょう?

私なりに「学習」と「楽習」の違いがあると思っています。

小・中学生が学んでいることは、「学習」ですね。
自分の興味のあることだけではなく幅広い視点から提案されています。

苦手な科目もあるでしょう。
好きになれない教科もあります。
学んでいることが生理的に嫌なこともあるでしょう。
でも、私たちは決して楽しいだけではなく、
それらに触れて、苦しくてもがきながら学んできました。
時にそのおかげで要らない劣等感を持ったり、
落ち込んだこともあったかもしれません。

でも、今にして思えば、その経験も大切だったように思います。
私たちが生きていくうえで「楽しい」だけでは
生きていけないことがたくさんありますから。

できなくて悔しい、わからなくて不安、
間違っていて恥ずかしい・・・・
いろいろな感情を経験します。

 

楽しいことが上手になっていくこともうれしいけれど、
実は苦手意識を克服した時に喜びが生まれることも多々あります。

それを克服するために努力したり、
歯を食いしばって頑張ったり、人一倍考えたり、
行動したり、経験を積みます。

こういう「我苦(がく)習」
つまり「我苦しんで習う」ということも
また必要なことではないでしょうか?
(勝手に、当て字を作って考えたりするクセがあります)

学んでいると、辛くなることはあります。
悔しくなることも経験します。
分からなくて不安になることもあります。
それは自分を高めるためのトラップ(罠)なのかもしれません。

そのトラップに引っかからず、
壁を乗り越えたときに大きな学習成果に気づけると思います。
それが本当の「楽習」になるのかもしれません。

時々、一生懸命に学んできた人が、「辛いからやめる」と
せっかくのスキルアップの機会を自ら断ってしまうことがあります。
とても残念なことです。

 

本当は、その「辛い」を見守り、
支えることが「先生」の役割でもあると思っています。
私にはまだそのスキルはないので、そこが私の学びどころ。

「楽習」「我苦習」どちらも大切な学習の姿勢。
両方を上手にバランスをとっていくことが必要だと思います。
だんだん、覚えが悪くなると「我苦習」も増えていますが、
乗り越えたときの達成感で「楽習」に切り替わったとき、
もっともっと頑張ろうと学習意欲が高まるんですね。
学ぶことはやめられませんね。

そして「楽習」提案と同時に、「我苦習」の壁にぶつかった方を
さらに素晴らしい「楽習」へのいざなうことができるように
私も学び続けます。