控えめで大事なこと

夏休み真っ只中。

 

普段以上に親子の光景をよく目にします。

そこで現在の親子状況を目の当たりにする社会勉強をしています。

学校では同じように教育されているから、善し悪しの行動はさほど変わらないと思いますが、あからさまに家庭での教育の差を目にすることが多いからです。

子どもの立ち居振る舞いや言葉遣い、他人との関わり方・・・・・。

そして、何よりもそんな子どものそばにいる「親」の態度などにもつい目がいってしまいます。

昔から「この親あってこの子ども」などとも言われますが、まさにそれは否めません。

 

例えば電車に乗ったときに気づくことですが

「早く行きなさい」「早く座りなさい」と

子どもを誰よりも先に行かせようとする親御さん。

大抵は子どもに座る席を取らせて、自分がどっかり座っています。
結構目にしませんか?

さらには、

子どもも大騒ぎでゲームをしたり、飲食を始めたりと自由。

足をバタバタさせていて、前にいる人の洋服が汚れてしまうかもしれないのに、

あまり気にしないのです。
まぁよくある「困ったチャン」
注意するほどではないけれど、良い気持ちはしません。

 

この光景を皆さんはどう思いますか? 

 

子どもは無邪気でかわいいです。
だけど、その後の子どものことを考えれば、
かわいいだけではおさまらなくなるかもしれませんね。

 

それとは逆に

「待ちなさい」「端に寄りなさい」と

子どもの行動を控えめに心掛けている親御さん。

子どもに待つことや譲ることをきちんと教育していて、

公共の場をわきまえることをしつけているのだと感心します。

お年寄りや体の不自由な人、自分の子どもよりも小さい子どもには、

率先して席を譲っていて、
そうすることが当たり前のように常に配慮しているのです。

ゲームをしていたら、周りに困っている人がいても気づきません。

 

同じくらいの子どもでも、こんなに行動や態度が変わるんですね。

この違いはやはり家庭教育だと思います。

家庭教育をされているか否かで子どもの成長だけではなく、

子どもの社会的な成長が変わるんですね。
それは学校の成績とは違います。

人間教育につながるものだと思っています。

私が子どもの健やかな健康を守るために、
そしてさらなる向上を目指すために、

自然療法を伝えたいと思って「チャイルドケア」を始めました。

でも、自然療法のノウハウだけでは、
親としての教育は伝えられないと思ったので

「家庭教育」も取り入れました。

家庭教育を知ることで、自然療法の扱いも変わります。

大切な子どもも自然の恵みもありがたいもので、大切にしたいものです。

 

夏休み、子どもと一緒に出掛ける機会も多いことでしょう。

そんなときに社会の中で
子どもたちはどんな学びができるのか考えてみるのも

 

親としては大事な学びのチャンスです。

 

「譲る」「待つ」を伝えるチャンスも多いと思います。

そこに我慢をすることを覚え、人への慈愛も生まれることと思います。

人より先に抜きんでることだけが教育ではないです。

学校教育ではそういう部分があるかもしれません。

頑張って良い成績をとることは素晴らしいです。

 

でも、家庭では逆のことでもある
「我慢」や「譲る」ことを家庭で伝えることで、

頑張ることも、我慢することもできるようになって
素敵な成長につながります。

目立つことや自分が得することを教えることが教育ではありません。

 

家庭教育って控えめです。

 

控えめが損と思っている人もいますね。

誰からも褒められたりしないし、良い点数がつくわけでもないし。

でもね。人は意外に見ています。
そしてその子の周りの人たちが変わります。

良い仲間に守られたり助けられたり、人として評価されます。

 

最終的には得じゃなくて

 

「徳」な子どもになるんだと思います。

体育てと体感覚

 子どもの体がおかしくなっていると騒がれて、かれこれ十数年。

その子どもたちが大人になって親になっています。

このおかしくなっているというのは、病気ではないので「おかしい」というニュアンスになるのですが、低体温、体温調整が上手にできない、朝すっきりと目覚めることができない、力むことができない、片足で立てない、ボールが投げられない、まっすぐ立っていることができないなどいろいろ困った状況が挙げられます。

 

 生活スタイルやリズムが変化したこともありますが、子どもの教育として、知育の成長だけを重んじられ、体の成長が軽んじられているため、体が「おかしい」状況になっているのです。かなり以前から子どもの発達の問題として言われていることです。「病気」ではないから、家庭で改善する機会が失われています。でも、やっぱり「おかしい」は何かのトラブルの原因になっていることは間違いありません。

 

 最近耳にした話ですが、最近は授乳用に便利なクッションが使われています。出産した病院などにもあるので、初めての授乳はそのクッションを使って行われること多く、退院してもそのクッションがないと授乳ができないというお母さんが増えているそうです。

どこに行くにもその授乳用クッションを持っていき、それを使って授乳するのだとか。

 また、赤ちゃんを上手に抱くこともできないから支えとしての抱っこひもは必需品なんです。それがないと不安で抱けないのでしょう。だから今は、抱っこひもの種類が多いんですね。素材や形、価格もさまざまありますね。

でも、便利というよりも「できない」が形になったのだと思いました。

 

 赤ちゃんをどうやって抱くのか、赤ちゃんをどうすれば授乳できるのかなど、自分の体の感覚がわかっていないのです。これは知識というよりも、今までの様々な経験の中で自然に体が動くことでできるのです。頭でイメージしたことを体が感じて自然に反応するということです。でもこの反応ができない大人が増えているということです。

 

 子どもは成長しますから、すでに「おかしい」と言われていた子どもたちが大人になった新たな「おかしさ」が出てきているのですね。

「病気」ではないけど、恐ろしいことだと思います。
 赤ちゃんを抱くというのは、「タッチケア」です。抱っこひもが抱いたのではこの「タッチケア」にはなりません。上手な抱っこは、ケアと言い切れると思います。だから上手に体の感覚を使って赤ちゃんが安心して身を任せられるように抱くことができるのは大事なことなんです。

 

 おそらくこのおかしさは、さらに加速していくことになるでしょう。

今のお年寄りが膝が痛い、腰が痛いと言っていますが、それがもっと前倒しになっていくこともあり得ます。

 「おかしさ」が「病」になり、その病の原因がわからないという事態も出てくるでしょう。そして原因のわからない「痛み」を抱えなければなりません。

体を作ること、これは成長期に合わせてきちんと経験とともに体の感覚を養うことでもあるのです。決して筋肉をつけるような運動方法だけとは違います。

 

 体の「おかしさ」にもっと早く気づき、改善していくことは、長い人生の健康につながります。子育てにもっと体育ての時間を作ってください。机上の勉強やゲームでは、なかなか育てられないものです。体の感覚を養うことは、体を上手に生涯使っていくというところにつながるのです。これは特定のスポーツをすることとは違います。スポーツをしているお子さんは、そのスポーツに必要な体の使い方は出来ているけれど、他の体の使い方はできていないこともあります。
 体をどう動かせば、支えられるのか。体のどこを使えば、スムーズに動けるのかよくわかっていないのです。自分の体でありながら、有効的に使えないのは残念で悲しいことです。

 

 日常的なことでいいのです。草むしりしたり、雑巾がけしたり、窓ふきしたり自転車じゃなくて歩くこと、階段を上ること、しゃがんだりジャンプしたり。ゲームじゃなくて縄跳びしたり、ボール投げしたり・・・・。

 今は夏休み真っただ中、ちょっとした工夫で体づくりをサポートします。親子で体の感覚を養う工夫を取り入れてみましょう。

自画自賛のすすめ

日本人の気質にある「謙遜」する美学。
確かにね。この謙虚さは美しい。
だけど、正しい謙遜が出来ている人は少ない気がします。

自分を過小評価して、自己肯定感を低くしているのは、
謙遜でも謙虚でもない。
「私はいいです」「私はできないです」と
出来るできないの前に完全否定。
自信がないということもあるけれど、
面倒なことはできるだけ避けたい、

だから自分の出来なさアピールをすることもあります。
黙っていて無関心を装うよりはいいのかもしれないけど、

でもこういう場合、結構隠れてこそこそ陰口をたたいている人もいます。

 これ謙遜でも謙虚でもないです。

本来の「謙遜」の美しい言葉の真意とは違ってきているように思います。
だったら、謙遜なんかいらない。
堂々と遠慮せずに言動も行動もしてみたらいいんです。

そういって、
「では、そうします!」といって
行動が出来る人が「謙遜」していた人だってわかります。

「そうはいっていっても・・・」と
グチグチ言って行動しない人は謙遜しているわけじゃないです。

あくまでも私の判断基準ですが。

それと、自分のことを過小評価するのも謙遜ではないですね。
自信がないことが、謙遜ではないから。
私は過小評価する人をみると、とても悲しくなります。
もちろん謙遜で言っているのかもしれないけど、
自分のことをなぜこんな風にしか思えないんだろうって
どちらかというと、そうとらえてしまいます。

自分の子どものことでもそう。悪いところを紹介する。
それは良くないですね。まぁ、昔の人は良く愚息とか、愚妻とか、
身内のことをそんな風に言いましたけど、これはね良くないと思います。
自分だけが分かっているいいところがいっぱいあるんだから
それを紹介すべきです。
 
でも実は、私もそうでした。
子どものいる前で子どものことを少し悪く言ってしまったことがあります。
もちろん謙遜のつもりでした。

でも子どもに謙遜なんてわからないから、
相当ショックだったようです。
「ママは誉めてくれたのに、嘘だったの?」
「どうしてダメなことをみんなに言うの?」と
ひどく傷つけてしまったことがあります。
それからは、自分の子どものことはありのまま伝えます。

「とってもいい子です。だけどおっちょこちょいなの。そこがかわいいけど」とか
「素直で真面目。だけどグウタラなところもあるわよ、外では気が張ってるのかもね」とか。
自分しか知らないありのままを話します。
悪いところも話します。

いいところだけ話すと、自慢話に聞こえちゃうし、
そういうつもりはなくても
人は良い話を妬んだりするんですね。
でも必ず良いところを先に話します。

だって、本当はそこだけ話したいんだもの(笑)
我が子のいいところを話していると、なんだか気分よくなります。
そして不思議なものでいいところを話していると、
子どもが元気に育ってくれていることに改めて感謝したりして。
いい気分。
そう、自画自賛で親は幸せなもんです。

だから、私は子育て関連の講座のときに、
小さなお子さんのいる講座では自己紹介のときに
子ども自慢を一つ添えてくださいとお話しします。
ただ、「○○才の子どもがいます」じゃなくて、
「野菜をたくさん食べてくれる2歳の男の子の母です」って言うだけで、
なんか違ってきます。

そうすると講座のあとで、
あるお母さんが
「本当はおむつが取れないことが悩みで、それを相談しに来たんですが、
なんか野菜もりもり食べてくれる我が子なんだって思ったらどうでもよくなりました」って
言ってくれて
あぁ何気ないことで、お母さんたちは変わってくれるから、
お母さんが変わってくれる魔法の言葉をたくさん持ちたいなって思ったことがあります。

私の講座に参加されている方はわかると思います。
私自身が、自画自賛しているから。
「これ、すごくいいよ。楽しいよ。すごくない?」って。
そうすると、何だか皆さんそう思えるようになるし、
わからないけど「楽しい」そして「ハッピー」って気分になるです。
そして、子どもに早く会いたいって思えたり、
家族に優しくしようって思ってもらえるんです。
学問的なことを身につける内容ではないけれど、
こんな大切なことを再確認できるのは良い学びですね。(あっこれも自画自賛)

物事を良い方向でみるためには、不要な謙遜はしないこと。
先ず自画自賛していきましょう。それが上手になった人だけが謙遜できるんです。

大いに自分を認め、評価して、喜びましょう!