「す」を「る」に変えて考える

私が自然療法に興味をもったのは、ホリスティックな考えで物事をとらえ、悪いところを治したり取り除くということではなく、もっと全体を見てバランスを整えたり、自然治癒力や免疫力をあげることを目的としていたからです。

 しかし、そのような考えやスタイルで注目された自然療法も最近はどうも対症療法的なやり方が目立ち
何か症状が出ていることに対して使うことが注目されています。
もちろん、薬をすぐに使ったり乱用されるよりは良いのですが

「〇〇には✖✖が効く」とか

 

「▽▽で〇〇にならない」とか

 

そういう言葉にとても違和感を持ちます。

奥歯で銀紙を噛んだみたいな

黒板を爪でひっかいたみたいな

何とも嫌な感じ。

 

自然療法って100人いれば100通りあるはずなんだけど

これだと100人いても一つの方法で済んでしまうということでしょ?

そういうキャッチーな言葉に反応してしまうのは、
日本は、西洋医学への崇拝的な意識がまだぬぐい切れないのだと思います。
日本の医療に対する考えは
ある意味、洗脳されていますから。
検査、ワクチン、薬・・・・・。
メリットばかり伝わり、デメリットは絶対に広がらない。

 

データが多いから効果があるとか

エビデンスで効果が分かったとか・・・・。

それはそれでとても大事なことだし、

そういう捉え方もあると思いますが

そちらばかり注目されていることで

本来の自然療法の価値観がずれているように思えたんです。

別にそういうありかたを否定しているわけではありません。

ただ、そればかりではないと言いたいのです。

 

だけど、世の中そういう流れが強くて

私の行っているアロマやハーブ、フラワーエッセンスも

対症療法を求められると

自分らしくないなって思いながら

勉強した通りに教えて、

理屈だけの理解と納得をしてもらうことに長いこと違和感ありました。

抗菌作用が、鎮静作用が・・・・・とか。

習った通りだから本当にその人に効くかどうかなんてわからないもの。

(なんて言ったら元も子もないですけど)

資格制度になったことで、当然試験もあり、統一した知識をスキルを求めるのは

やむをえないの事情もありますね。

統一した答えを出すことにもともと無理があったとも言えます。

私自身はその違和感を払拭するために違う形で使ったりしましたが

それはそれで別のツールになってしまうから

それも違うなと感じていたんですが、

なぜ私が違和感を持つのかがようやくスッキリ解けました。

「す」と「る」を置き換えてみたら、しっくりしたんです。

 

チャイルドケアは、

「治『す』力」の提案ではなく

「治『る』力」を高めることを提案するものです。

何てシンプルなんでしょう。

何でこんなことに気づかなかったんでしょう。

いえいえ、気づいていました。

だけど、言い訳みたいにたくさんの言葉を述べて

いろいろなことをやって遠回りに提案してきたんですね。

「す」と「る」の違いなのに(苦笑)

チャイルドケアは、モノやツールを使っても

モノやツールに依存しません。頼りすぎません。

モノやツールの「治『す』力」だけを求めてもダメだということです。

なぜなら大事なのはモノやツールじゃなくて

まず

「自分自身に向き合うこと」だからです。

そう、これが

「治『る』力」ということです。

自分に向き合い、自分に興味をもち、自分に関心をもって

とことん自分を知ること。

そして、自分を愛でることなんですね。

「治す力」だと、ツールや方法がメインになってしまうから

成分や順番が大事になってしまうんです。

自分に対して興味を持っている人は多いけれど、

モノやツールに依存して、そっちに関心を向けてしまうことで、
知識を覚えたりすることが大事になって、
自分への関心よりも知識を取り入れることに夢中になって、
いつのまにかその知識に自分を合わせることになります。
 おかしなことになります。

そして、使っているからいい、やっているからいいと思っているだけで、
実際には自分のためになっていないこともあるわけです。

そして調子が悪くなるととたんにそれが不安になって、
やっぱり西洋医学の薬に頼るという
ダブルスタンダードな行動をとってしまうんですね。
自然療法はわかっている。できている。だけど信用していない。
自信がないことにもつながります。

そんな人をみると「もったいない」って思ってしまうわけです。

せっかく勉強して、ツールも持っているのに、
自分を知らないとまた何かにすがるものを見つける。
病院で診断されると安心したりして、
言われるがまま検査して薬もらって、症状が治まると安心して、
趣味的に自然療法を扱うのです。

意地悪な言い方だけど、元気な時にしか自然療法が取り入れられないんですね。
それは自分をやっぱり知らないからだと思います。

いつもより強気な発言ですが。

「自分に意識を向ける」「自分に関心をもつ」

これだけで、自分に何が必要で何をすべきかは見えてきます。

これは人によって違う。違って当たり前。

だから100人いれば100通りになります。

チャイルドケアは、

「自分のために、自分だけのケアを考える力をつけるもの」

そう、だから答えはなくて

一緒に考えてそれぞれの答えを出すものなんです。

結局私がずっと提案してきたことなんだけど、

「す」と「る」のたった2文字に校正に

ずっとモヤモヤ感がぬぐい切れなかったんですね。

長くやっていると、時々迷います。

いろいろなことを言われたり、求められたりするから

軸がぶれそうになります。

でもやっぱり私は「る」を極めたいと思います。

そのうえで「す」も、もちろん考えていきます。

治る力があってこその

治す力は発揮されますから。
 

たしかにね。
「これで良くなる」とか「これで治った」と言った方が
受けがよいし、人は集まります。
言葉だけで事実がわかっていなくとも、
言葉に弱いのです。

特に誰が発信したかで影響は大きい。
医者が言えば、絶対に真実だと思っている人も多い。

有名な人だからということで、信じてしまう人もいる。
結局、自分で答えが出せないから、

誰かの言葉に頼るのです。

 だけど自分のことが分かっていれば、迷いはなくなります。
これは大事なこと。

自分を知ることが、
予防であり治療でありリハビリにもなっているし、
喜びでもあるのです。
 
生きることは喜びになる。

チャイルドケアはそういうスタンスで行きたいと思います。

ちなみに西洋医学を全否定しているわけではありません。
頼っていることもあります。
否定していることもあります。
きちんと情報を得て、知識を付けて、
何よりも自分と向き合いながら利用することが大事なことです。

控えめで大事なこと

夏休み真っ只中。

 

普段以上に親子の光景をよく目にします。

そこで現在の親子状況を目の当たりにする社会勉強をしています。

学校では同じように教育されているから、善し悪しの行動はさほど変わらないと思いますが、あからさまに家庭での教育の差を目にすることが多いからです。

子どもの立ち居振る舞いや言葉遣い、他人との関わり方・・・・・。

そして、何よりもそんな子どものそばにいる「親」の態度などにもつい目がいってしまいます。

昔から「この親あってこの子ども」などとも言われますが、まさにそれは否めません。

 

例えば電車に乗ったときに気づくことですが

「早く行きなさい」「早く座りなさい」と

子どもを誰よりも先に行かせようとする親御さん。

大抵は子どもに座る席を取らせて、自分がどっかり座っています。
結構目にしませんか?

さらには、

子どもも大騒ぎでゲームをしたり、飲食を始めたりと自由。

足をバタバタさせていて、前にいる人の洋服が汚れてしまうかもしれないのに、

あまり気にしないのです。
まぁよくある「困ったチャン」
注意するほどではないけれど、良い気持ちはしません。

 

この光景を皆さんはどう思いますか? 

 

子どもは無邪気でかわいいです。
だけど、その後の子どものことを考えれば、
かわいいだけではおさまらなくなるかもしれませんね。

 

それとは逆に

「待ちなさい」「端に寄りなさい」と

子どもの行動を控えめに心掛けている親御さん。

子どもに待つことや譲ることをきちんと教育していて、

公共の場をわきまえることをしつけているのだと感心します。

お年寄りや体の不自由な人、自分の子どもよりも小さい子どもには、

率先して席を譲っていて、
そうすることが当たり前のように常に配慮しているのです。

ゲームをしていたら、周りに困っている人がいても気づきません。

 

同じくらいの子どもでも、こんなに行動や態度が変わるんですね。

この違いはやはり家庭教育だと思います。

家庭教育をされているか否かで子どもの成長だけではなく、

子どもの社会的な成長が変わるんですね。
それは学校の成績とは違います。

人間教育につながるものだと思っています。

私が子どもの健やかな健康を守るために、
そしてさらなる向上を目指すために、

自然療法を伝えたいと思って「チャイルドケア」を始めました。

でも、自然療法のノウハウだけでは、
親としての教育は伝えられないと思ったので

「家庭教育」も取り入れました。

家庭教育を知ることで、自然療法の扱いも変わります。

大切な子どもも自然の恵みもありがたいもので、大切にしたいものです。

 

夏休み、子どもと一緒に出掛ける機会も多いことでしょう。

そんなときに社会の中で
子どもたちはどんな学びができるのか考えてみるのも

 

親としては大事な学びのチャンスです。

 

「譲る」「待つ」を伝えるチャンスも多いと思います。

そこに我慢をすることを覚え、人への慈愛も生まれることと思います。

人より先に抜きんでることだけが教育ではないです。

学校教育ではそういう部分があるかもしれません。

頑張って良い成績をとることは素晴らしいです。

 

でも、家庭では逆のことでもある
「我慢」や「譲る」ことを家庭で伝えることで、

頑張ることも、我慢することもできるようになって
素敵な成長につながります。

目立つことや自分が得することを教えることが教育ではありません。

 

家庭教育って控えめです。

 

控えめが損と思っている人もいますね。

誰からも褒められたりしないし、良い点数がつくわけでもないし。

でもね。人は意外に見ています。
そしてその子の周りの人たちが変わります。

良い仲間に守られたり助けられたり、人として評価されます。

 

最終的には得じゃなくて

 

「徳」な子どもになるんだと思います。

体育てと体感覚

 子どもの体がおかしくなっていると騒がれて、かれこれ十数年。

その子どもたちが大人になって親になっています。

このおかしくなっているというのは、病気ではないので「おかしい」というニュアンスになるのですが、低体温、体温調整が上手にできない、朝すっきりと目覚めることができない、力むことができない、片足で立てない、ボールが投げられない、まっすぐ立っていることができないなどいろいろ困った状況が挙げられます。

 

 生活スタイルやリズムが変化したこともありますが、子どもの教育として、知育の成長だけを重んじられ、体の成長が軽んじられているため、体が「おかしい」状況になっているのです。かなり以前から子どもの発達の問題として言われていることです。「病気」ではないから、家庭で改善する機会が失われています。でも、やっぱり「おかしい」は何かのトラブルの原因になっていることは間違いありません。

 

 最近耳にした話ですが、最近は授乳用に便利なクッションが使われています。出産した病院などにもあるので、初めての授乳はそのクッションを使って行われること多く、退院してもそのクッションがないと授乳ができないというお母さんが増えているそうです。

どこに行くにもその授乳用クッションを持っていき、それを使って授乳するのだとか。

 また、赤ちゃんを上手に抱くこともできないから支えとしての抱っこひもは必需品なんです。それがないと不安で抱けないのでしょう。だから今は、抱っこひもの種類が多いんですね。素材や形、価格もさまざまありますね。

でも、便利というよりも「できない」が形になったのだと思いました。

 

 赤ちゃんをどうやって抱くのか、赤ちゃんをどうすれば授乳できるのかなど、自分の体の感覚がわかっていないのです。これは知識というよりも、今までの様々な経験の中で自然に体が動くことでできるのです。頭でイメージしたことを体が感じて自然に反応するということです。でもこの反応ができない大人が増えているということです。

 

 子どもは成長しますから、すでに「おかしい」と言われていた子どもたちが大人になった新たな「おかしさ」が出てきているのですね。

「病気」ではないけど、恐ろしいことだと思います。
 赤ちゃんを抱くというのは、「タッチケア」です。抱っこひもが抱いたのではこの「タッチケア」にはなりません。上手な抱っこは、ケアと言い切れると思います。だから上手に体の感覚を使って赤ちゃんが安心して身を任せられるように抱くことができるのは大事なことなんです。

 

 おそらくこのおかしさは、さらに加速していくことになるでしょう。

今のお年寄りが膝が痛い、腰が痛いと言っていますが、それがもっと前倒しになっていくこともあり得ます。

 「おかしさ」が「病」になり、その病の原因がわからないという事態も出てくるでしょう。そして原因のわからない「痛み」を抱えなければなりません。

体を作ること、これは成長期に合わせてきちんと経験とともに体の感覚を養うことでもあるのです。決して筋肉をつけるような運動方法だけとは違います。

 

 体の「おかしさ」にもっと早く気づき、改善していくことは、長い人生の健康につながります。子育てにもっと体育ての時間を作ってください。机上の勉強やゲームでは、なかなか育てられないものです。体の感覚を養うことは、体を上手に生涯使っていくというところにつながるのです。これは特定のスポーツをすることとは違います。スポーツをしているお子さんは、そのスポーツに必要な体の使い方は出来ているけれど、他の体の使い方はできていないこともあります。
 体をどう動かせば、支えられるのか。体のどこを使えば、スムーズに動けるのかよくわかっていないのです。自分の体でありながら、有効的に使えないのは残念で悲しいことです。

 

 日常的なことでいいのです。草むしりしたり、雑巾がけしたり、窓ふきしたり自転車じゃなくて歩くこと、階段を上ること、しゃがんだりジャンプしたり。ゲームじゃなくて縄跳びしたり、ボール投げしたり・・・・。

 今は夏休み真っただ中、ちょっとした工夫で体づくりをサポートします。親子で体の感覚を養う工夫を取り入れてみましょう。